2012年08月01日

インターナショナルスクールの校数は、平和の指数

日本のインターナショナルスクールの歴史を調べ行くとわかることがふたつあります。それは、戦争の前後にインターナショナルスクールは増えないということ。そして、平和な時代が続くと経済成長にともない校数は増えていくのです。


2012.08.29 インターナショナルスクールの校数は、平和の指数。 日本のインターナショナルスクールの発祥について調べていくとわかることがふたつあります。  ひとつは、戦争の前後に、インターナショナルスクールの数は増えない、ということ。
 ふたつめは、平和な時代が続くと経済成長がともない、インターナショナルスクールの校数が増える傾向にあること。

 日本のインターナショナルスクールの幕開けは、明治ですが、当時の日本は日清、日露と戦争が続きます。
 その間、第一次世界大戦を挟みほとんど学校は増えません。
 第二次世界大戦の前後には、インターナショナルスクールとナショナルスクールを含め、多くの学校が休校を余儀なくされます。

 戦後、復興期にインターナショナルスクールとナショナルスクールが戻ってきます。
 しかし、当時の日本は物資も不足し、インターナショナルスクールもナショナルスクールもほぼゼロからの再開となりました。

 高度成長期には、日本全国でインターナショナルスクールの設立が増えます。
 その背景には、米軍基地の存在があります。
 基地関係者を対象とした学校がありましたが、基地が撤退した時に、インターナショナルスクールとして引き継ぐ例が多く見られました。

 その後の日本の経済成長とともに校数も増えていきました。

 戦後68年が経過し、日本のインターナショナルスクールの数は認可されているだけで150校にもおよびます。

 明治から大正、昭和初期、学校数は、10校に届きませんでした。

 150校。
 この数字は、平和の指数であり、今後も校数が増えることがあっても、決して、減らしてはいけません。
 インターナショナルスクールの校数は、平和の指数です。
 

この記事の記者

インターナショナルスクールタイムズの編集長として、執筆しながら国際教育評論家として、日本経済新聞やフジテレビホンマでっかTV、東洋経済、プレジデント、日本テレビ、TOKYO FMなど各メディアにコメント及びインタビューが掲載されています。

プリスクールの元経営者であり、都内の幼小中の教育課程のあるインターナショナルスクールの共同オーナーの一人です。

国際バカロレア候補校のインターナショナルスクールの共同オーナーのため国際バカロレアの教員向けPYPの研修を修了しています。